中華街に来られた方はお分かりになるかもしれませんが、中華街のエリアだけ、周囲の道路に対して斜めに道が走っています。その道は東西南北を向いていて、それぞれの入り口には、中国の神獣が飾られた門が建てられています。



風水を重んじる中国人ならではですが、実は中華街は、中国人が風水に則って土地を東西南北に整備したわけではないのです。

そもそも、今の大岡川と中村川が分かれる南吉田町の辺りから、現在の根岸線が走る辺り、大岡川と中村川、そして根岸線に囲まれた釣鐘のような形の土地は、江戸時代の初めまでは、小さな湾のような入海でした。それを、吉田勘兵衛という人物が、11年もの月日をかけて埋め立て新たな田畑を作り、吉田新田と名づけられました。

入海の入り口には、現在の元町辺りから横に長くつきでた浜がありました。ちなみに「横浜」という名前の由来になっています。また、その浜の根元にあった村・元村が現在の元町になっています。

吉田新田完成後も、江戸の終わりに中村川を流れた土砂が突き出た横浜にたまるのを利用して横浜新田が作られました。その際、斜めに土砂がたまっていったため、それにあわせて区画を作っていったところ、周囲とは方向がずれ、たまたま東西南北を向いた区画となったのです。




ペリー来航により開港の地として選ばれた横浜には、外国人居留地が出来、中国人がその東西南北を向いた土地に住み着いて現在の中華街の礎を築いたそうです。

横浜新田の土地に目を付けたのが、風水を重んじる中国人達というのは納得がいきますね。

いかがだったでしょうか? こんな感じで、中華街にまつわるちょっとしたお話を綴っていきますので、皆さまお楽しみに(^_^)