世界中には大小さまざまな中華街が形成されています。その中でも日本の中華街は特徴的で、東南アジアやアメリカなどの華僑が、その多くが第一次産業に携わる“労働者”として新天地で暮らしはじめたのに対し、横浜の華僑はほとんどがはじめから“商人”でした。

開港当時から、貿易商や欧米商社の買弁(通訳兼番頭のような役割)、大工、レンガ工、印刷技術者、料理人、西洋家具職人として、多種多様な商いの現場で活躍し、暮らしていました。
そして時を経るなかで、横浜華僑の代表的な職業として、洋裁、理髪、料理の3つが特化されていきます。どれも刃物を商売道具にすることから、これら3つの職業は“三把刀(さんばとう)”と呼ばれました。

もともと、いろんな職業に従事していた中国人たちが、三把刀に集約されていったのには理由があります。
最も大きな理由は、1899年(明治32年)の“外国人居留地の撤廃”です。開港から40年が経ち、西洋の技術をまったく知らなかった日本人も、徐々に技術を身につけていました。
居留地の境界がなくなると同時に、日本の商人や職人たちが進出。その一方で、旧居留地外へ進出する中国人には、職業制限が設けられました。
三把刀は華僑の技術が長けていたこともあり、認可職業となり、中国人の代表的職業となったのです。

当時から、食の歴史が奥深い中華料理を作る華僑は特別な存在だったのですね。
それが元で中華街はのちにグルメの街へと発展していきます。